小さきものが集う丘 いつしか、虹。

ご相談お問合せ アクセス

私たちのあゆみ

  • 1. 暗く長い日本の精神科医療のはざまで

    日本における、精神科医療史。それは、暗く長い隔離の歴史とも言えます。第二次世界大戦後、精神科疾患患者への理解が進むにつれて、精神科病院の開放化と患者の地域移行が進んだヨーロッパ。その一方、日本では精神疾患患者を社会における危険因子とみなし、隔離し収容することで対処するという施策が取られてきました。1964年に起こった、ライシャワー駐日アメリカ大使が精神科疾患患者に刃物で襲われる事件を契機に、その傾向はますます強くなり、社会防衛としての精神科医療という考え方が、長い間日本の精神科医療を形作ってきました。

    のぞえ総合心療病院の院長・堀川公平は、そんな時代の只中に、久留米の精神科病院の次男として生まれました。1983年に久留米大学医学部精神神経科学教室に入局し、その後実家の精神科病院にて精神科医としての道を歩み始めるも、日本の精神科医療のあり方に疑問を感じていた堀川は、そのヒントを探るべく、アメリカに向かいます。

  • 1988 堀川院長が妻(後の副院長)と3人の子供とともに、アメリカ・ メニンガークリニックに留学。全ての資源を治療のために活用する力動的チーム医療のあり方に触れ、感銘を受ける。

    帰国した堀川は、実家の精神科病院から独立。かつての大増床時代に建てられた野添病院を買い取り、いちから改革を進めていきました。投薬を治療の根本に据えた生物学的精神医学ではなく、人とコミュニティを中心に据えた精神医療を展開。その結果、平均在院日数は約30分の1、平均入院期間は約50分の1へと激減させることに成功したのです。

  • 2. 地域あっての精神病院

    のぞえ総合心療病院が進めた改革は、病院の内側だけでなく、地域にも及びました。長い間、地域社会から隔絶していた精神病院を外に開いていくためには、精神疾患患者に対する偏見をさまざまな形で緩和し、取り除いていかなければなりません。そこで、病院から半径2キロメートルおよびその隣接地に生活訓練施設や活動支援センター、グループホーム、カフェやレストランを開設。就労支援の一環として患者さんと地域住民が交流する場を作っていきました。

  • 2000 病院の夏祭りや文化祭に近隣住民を招待

  • 2003 公民館でボランティア講座開講

  • 2004 近隣の高校で「心の授業」実施

  • 2005 デイケアメンバーと地域住民のためのグランドゴルフ、バーベキュー大会を開始

  • 2009 当法人の地域活動センターで地域連絡会議を開催(以後、継続)

    以後、地域の祭りに参加したり、病院内で開かれるイベントに地域の人を招いたりと、地域住民との交流や連携は自然発生的に増え、地域に開かれた病院へと成長していきました。

  • 3. 精神医療と、こどもたちの未来に向けて

    昨今では、こどもを取り巻く家族や社会の関わりが変化し、発達障害や虐待、引きこもりなど、こども自身に原因を求められない社会問題が急増しています。私たちは、人のこころの原点ともいえるこどものこころについて、専門的な診療体制を設けることを決めました。

  • 2019 急増するこどもの精神疾患への治療に専念する、こども心療病棟を新設

    2018年に、副院長であり当院の“母”でもあった精神科医の堀川百合子が急逝。 彼女の悲願であり、その意思を受け継ぐためにも、こども病院の新設は大きな一歩です。一家でアメリカに留学して30余年、いま再び人のこころの原点に向き合い、未来の精神医療のあり方を考えていく。のぞえ総合心療病院の、これからの挑戦です。

ともにある。 PHOTOギャラリー